男のリーダーシップ 10月号

directon & text by YUJI MORIYA illustration by CHINO A

人材育成コンサルタント、守谷雄司氏による熱血マネジメント講座。
今回のテーマは、92号(「凄い本」)に続き、読書から教えられた、我が人生の反省! です。
「人権」や「男女平等」が叫ばれる時代ですが、敢えて「男らしい生き方」に触れた作品を紹介いたします。何よりも私は男ですから……。

第98回
敢えて「男」強調する本から学ぶ

 今の時代、「男は男らしくあれ」等と書いただけで「性差別だ」と目くじらを立てる人が多いようだ。けど、そんなヒステリックに騒がずに、男は男、女は女ではないか。
 今回は、最近読んだ本の中で、 特に〝男の生き方〞について共感したところ、教えられたところ等を中心に、また同時に、私自身の生き方で反省を迫られた部分について書いてみた。
 まず、伊集院静氏の作品では、「大人のカタチで語ろう」(集英社)の中の次の一節に共感した。「父親でも母親でも、どんな関係、親子であっても、最後に子に対してできることは、自らの死を持って、子どもにメッセージを残していくことだ。どんなメッセージか。千の親には千の違う伝言が存在する」(同書p66〜67)。
 私の場合、父親の私に対する愛は、過保護そのものであった。私が大企業を飛び出し、フリーの経営コンサルタントとして、一匹狼の道を選んだのが35歳の時。
 父は、私の単行本の書評はもとより、雑誌論文に至るまで、丹念に集めてはファイリングし、文字通り「息子の成長過程の収集家」をやってくれた。父親は80歳を過ぎた時、脳血栓のための手術を受ける身となり、病院生活を余儀なくされた。視力も片目だけという状態であったが、私の原稿を清書するのが最後の仕事ということで、医師の忠告を振り切って、一日500枚近くの原稿の清書をやってのけた(パソコンのない時代)。
 そんなある日、病院を訪れた私の手を握りしめて、父は私にこんなことを言った。「俺が死んでもお前は仕事を優先させるんだ。葬式なんかに出ている暇があったら、人の前に立って、一生懸命、話をすることだ。いいな、葬式なんかにのこのこ出てくるんじゃないぞ。お前の人生に、そんな暇があってはいけないんだ」。
 この言葉(私への遺言でもあった)から一週間後に父は鬼籍に入った。(84歳)今にしてえば、明治生まれの頑固親父を持った私には、父が子に自分の思いを必死に伝えようとする点が時に煩わしくもあったが、一匹狼で生きる私への熱烈なる応援歌にもなっていた(この項は拙著「ビジネスの本質」幻冬舎p344~346に詳述)。

 次に、勢古浩爾氏の作品である「続・定年のバカ」(幻冬舎の新書)では、次の一節が私の生き方と重なるところが多く(失礼な言い分をお許しを願うとして)、共感するところ大であった。「わたしはこう考える。すなわち、対人関係において、誠実であること。仕事においては、力を尽くすこと。自分に対しては、負けないこと。ようするに基本的に、すべてにおいて真の意味でまじめであること、である。抽象的でおおざっぱな三戒だが、この姿勢で生きていくなら、どんなスタイルであろうと、その人生は正解だといっていい」(同書p92)。
 著書の「仕事に力を尽くす」ということについては、言葉こそ平凡だが私は共感する。いや、私ならもっと極端に「仕事の鬼」になれ! と言いたい。私が考える「仕事の鬼」とは、自分自身、過酷な戦いを継続し、周囲の「仕事人間」という揶揄をものともせず、いわば世俗の物指から孤独を守り抜く人間をいう。肩書のカラを破り、期待に応えるのではなく、期待以上の仕事をするということだ。「俺は係長だから、それ以上のことは遠慮するよ」と最もらしいことを言って係長という肩書のカラに閉じこもって、首だけ出している人がいる。
 一方、係長なのに、「課長、私がやっておきますよ。課長はもっと上の立場で見ていてください」と、どんどん課長の仕事をやってのける人もいる。こういう部下は、上司にとってはありがたい存在であると同時に怖い存在(自分の立場・地位が脅かされる)でもある。優秀な部下とは、常に上司に危機感を与えるものだからだ。
 次に、作家であり麻雀界のプロとして知られる桜井章氏の「男の器」(角川one 21テーマ)はなんでも平等と叫ぶ人が多い中で「男」を強調しているところが痛快である。今の世の中、男を強調するのはよくないという風潮のようだ。箱根駅伝で逆転優勝した監督が伴走車の中で「男だろう」と応援したことを、男、男と声高に叫ぶのは時代錯誤だと批判する人もいたが。私が本書で共感したのは、男は「覚悟」という言葉を安易に使うなということだ。
「最近の政治家は〝覚悟〞という言葉をよく連発する。しかし、覚悟を決めるという割には、しょっちゅうブレるし、最後は腰砕けになる姿ばかりが目につく。(略)〝覚悟を決める〞というと清々しい響きがあるが、人の世にいま出回っている多くの覚悟は、マイナスの色合いを帯びたものではないだろうか。私にとって生きていく上での覚悟とは、小さいながらもずっと続いている何かである。何かとは簡単に言ってしまうと、生き様のことである」(同書p46)。
 ところで、私の覚悟とは、研修の開口一番にやらかす次の宣言である(懲りずに何十年と続けている)。「朝の筋力トレーニングで、君たち(受講生諸君)より私の体が柔軟性で劣っていると分かったら、その時点で研修は終わりにする」。声に出した以上、「言行一致」なんて大人として当然のことである。
 それにしても、昨今の政治家のかる~い言葉にはあきれかえる。「冷静に事態を見つめる」「事態を重く受け止めている」「きわめて遺憾である」等、こんな言葉、いくらでも言える。どいつもこいつも覚悟がない。いい加減にせい! 

 さて、これら「男の生き方」について触れた本は、東西を問わず「枚挙に暇がない(数えればきりがないほど多い)」わけだが、太宰治の作品「正義と微笑」にも次の一節がある(この作品「正義と微笑」は、太宰と親交のあった青年歌舞伎俳優T君との少年時代の日記を読み、それについて太宰が感じたことを自由に書き綴ったものと言われている)。
「お道化なんてのは、卑屈な男子のする事だ。お道化を演じて、人に可愛がられる、あの淋しさ、たまらない。空虚だ。人間は、もつと真面目に生きなければならぬものである。男子は、人に可愛がられようと思ったりしては、いけない。男子は、人に「尊敬」されるやうに、努力すべきものである」(同書p4)。
 この最後の「男子は人に「尊敬」される」の一節は、今も昔も変わらぬ男の、いや大人として本来のあるべき姿だと思う。少なくともリーダーはと言われる人たちは(男女、年齢に関係なく)、部下におもねたり迎合してリーダーシップを発揮しようとしてはいけない。
 部下に信頼される上司とは「共感」と「熱心さ」を兼ね備えている。つまり、リーダーが部下に絶対に負けてはならないものは、「意識の高さ」と「情熱」の2つといってよい。次にこの不確かな時代を真剣に生きている姿を見せること、つまり、〝生き筋を見る力〞を持つことが必要だろう。
 なお、余談になるが、この「正義と微笑」は、高校2年の時に叔父(故人倉敷市ペンクラブ会長)からもらった本である。他に「誰も知らぬ太宰治」(ロッテ出版社)、「地主一代」(八雲書店)、「信天翁」(昭和書房 5000部限定)、「新ハムレット」(文芸春秋社)等、いずれも昭和15~24年度の出版物であり、貴重な限定本もある。
 これらの本は、私にとってとてつもない価値ある財宝なのだ。私の死後、拙著と太宰治の本だけは、長く保管し続けてくれと息子たちに懇願しているのだが、どうなることやら。

今月の語録

本を買ったら、即読むべき、の義務感は捨てよう。読みかけでもいい、何冊か併読してもよい。10分で読む本、1ヶ月かけて読む本、1年かけて読む本、一生かけて読む本があっていい。要は、本と余裕を持って付き合うことだ。

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