操上和美 写真家 × 藤原ヒロシ fragment design | それぞれの原宿物語 a long time ago in harajuku vol.2

photography by KAZUMI KURIGAMI
illustration by CHING NAKAMURA
text by HISAMI KOTAKEMORI

世界有数のファッションシティ、原宿にフォーカスする連載の第2回は、藤原ヒロシさんの後編。1960年代からクリエイターが原宿セントラルアパートに集い、70年代にはミルクやビギなど流行を牽引するブランドが原宿に出店。
渋谷よりも青山キラー通りがホットだったことが語られた前編。後編では、コム デ ギャルソンやヨウジヤマモトの創成期を後押しした意外なメディアの話までと。俺たち世代が知らないエピソードばかり。今回も操上さんを交えての対談でお届け致します。

バブル終焉が終わって裏原宿が始まった

守谷 : 第1回は僕も知らない60年代から80年代初頭の原宿の話が中心でした。ヒロシさんは今や世界を代表するクリエイティブディレクターですが、僕にとっては未だに“原宿=ヒロシさん”なんです。

藤原 : 僕は原宿で仕事をしていたというよりも、原宿に遊びに行って、セントラルアパートに行ったりとか、そういう環境が楽しかったんです。

操上 : セントラルアパートみたいな所って今ないでしょう?カルチャーそのものが詰まっているような場所は。

藤原 : 時代が左右するものだから、今はある必要がないのかもしれませんね。

操上 : 上野駅からタクシーに乗って原宿と言わなくても「セントラルアパートに行って下さい」と言えば、だいたい行ってくれました。

守谷 : そんなに有名だったんですね?

藤原 : 今の六本木ヒルズみたいなものですね(笑)。でもセントラルアパートも、最後は残念なことになってしまいましたよね。路面に漬物屋とか100円ショップができちゃって。最終的にはバブルが崩壊して、壊したいけど壊せないとか事情があったとは思いますが。

守谷 : 分かります、ありましたね有名人のお店とか(苦笑)。ちなみに操上さんにとっては原宿は原点みたいなところでもあるんですか?

操上 : うん、自分はそこで育ったからね。

守谷 : お幾つくらいまでいらっしゃいましたか?

操上 : 前にも話したように89年にセントラルアパートを出たから25歳から53歳まで原宿。その後、芝浦の鈴江倉庫に移りました。「浜松町に行くぞ!」って言ったら皆に反対されて(苦笑)。

守谷 : でしょうね(笑)。

藤原 : 操上さんの後、芝浦界隈に写真スタジオがたくさんできましたよね。

操上 : 僕が一番最初に借りて作ったの。

藤原 : 89年だとゴールド(芝浦にあった伝説的クラブ)ができた頃ですね。

操上 : 後にできました。

藤原 : 当時、インクスティック芝浦(ライブハウス)もあって芝浦が盛り上がった頃じゃないですか?

操上 : でもスタジオの周りは寂しかったの(笑)。僕は倉庫の半フロア、200坪を借りて、所々に中2階を作ったんです。実質300坪くらいになりましたが、家賃は半フロア分だから。それなら安いなって。

藤原 : NYのロフトみたいな?

操上 : NYでは当時アーティストがロフトを使うのが流行で、ロケハンに行くとスタッフが「おー!」っていちいち感嘆する。それに腹が立ってさ(苦笑)。

藤原 : 僕も初めてNYに行った時、日本との住宅事情の違いを痛感しました。

操上 : 日本は家も狭いしね。でも僕はそこを直さないとダメだと思ったので、頑張ってセントラルアパートを引き払ったの。カルチャーが動き始めた本当に面白い所から、下を見ると船が着いているような田舎に引っ越した。

守谷 : そうやって考えると、セントラルアパートって本当に当時の原宿の象徴だったんですね。

藤原 : 僕はセントラルアパートの全容を未だにそれほど知らないし、最終的にいつまであったのも正確には覚えていないですね(98年に解体)。

守谷 : 僕は10代から20代までファッション誌編集者になる前はリアルにヒロシさんのファンでした。特に思い出深いのは、グッドイナフとレディメイド(97年から超人気だったのにも関わらず、わずか2年で閉じた伝説のショップ)。今やコラボは当たり前の話だけど、これは間違いなくヒロシさんたちが最初に仕掛けたと思う。今ヴァージル(アブロー)たちがやっている手法が、僕には90年代の原宿と被って見えるんですよね。また、90年代には原宿からクリエイターも結構生まれていますよね。

藤原 : バブルが崩壊して、プロペラ通りには本当にプロペラ(渋カジを牽引しショップ)ぐらいしかなくて。一番最初のノーウェア(ゴローズの裏通り)は、家賃が14万円ぐらいでした。当時そこで知り合いが洋服屋をやっていて。何か新しいことをやろうというので、確かグッドイナフをやってた(TORU)EYE君が、NIGO®とジョニオを紹介してノーウェアが始まったと思います。

守谷 : 93年頃はそんなに安かったんですか!?今じゃ考えられないですね。

どこか異空間な原宿の
ファッションビル変遷史

藤原 : 今、シャネルが入っているジャイルは以前、ビブレ(原宿ビブレ21。84年オープン。01年からエスキス表参道を経て07年よりジャイル)だったんですが、何をやってもダメなビルと言われていて(苦笑)。

操上 : ベルコモンズ(南青山三丁目交差点で76年~14年まで開業。コム デギャルソンが最初にショーを行ったファッションビル)も同じだね。

守谷 : 昔のウチの会社の目の前でしたが、確かに青山ベルコモンズは、いつも何が入っているか分からなかった。

藤原 : 最後の頃はシボネが入っていましたね。跡地には今年7月、ジ アーガイル アオヤマがオープンして、中には野田(豊加)君が手掛けたジ アオヤマ グランドホテルも入っているけれど、このタイミング(コロナ禍、東京オリンピック延期)だからね……。あの交差点にスーパーがありましたよね?24時間営業の。

操上 : 青山ユアーズ(82年に閉店)。

藤原 : そう。僕もギリギリ覚えているくらいだけど、上の年代の人たちからは24時間営業のお洒落なカフェがあったので、ユアーズで待ち合わせてムゲン(赤坂にあったディスコ)に行く、という話をよく聞きました。

操上 : 僕は暗室作業をやっていると、深夜になってしまうことがよくあって、仕事が終わった後にちょっと飲みに行くこともありました。黒柳徹子さんとか、よくいましたね。

藤原 : コープオリンピアの地下にもペッツとかアメリカのお菓子がおいてあった、外国っぽいオリンピアフードライナーというスーパーがありました。セントラルアパートもそうですが、原宿はどこか異空間な感じがしましたね。実は自粛期間中、NHKスペシャルで『JFK 暗殺』を見たんですが、これがオズワルド(ケネディ大統領暗殺の犯人とされる人物)フォーカスの番組で。

守谷 : 僕も見ていました。面白かった。

藤原 : オズワルドは日本に駐在している時に洗脳されたらしく、ドキュメンタリーに登場した銀座のクイーンビーというキャバレーの資料を探していたら、国会図書館の資料室に辿り着いて。原宿の昔の写真もありました。膨大過ぎて全部は見ていませんが、操上さんがおっしゃっていたワシントンハイツの門の写真もそこで見ました。

守谷 : ヒロシさんのアナーキーな探求心、昔から半端ないですよね。そこ行く?みたいな(笑)。

藤原 : (笑)。今年の東京オリンピックは延期になりましたが、64年のオリンピックの時の原宿はどんなムードでした?

操上 : 東京オリンピックの時、僕は原宿にいませんでした。チケットが安かったからヨーロッパに旅行に行ってたので。オリンピックは見ていません。

守谷 : さすがですね(笑)。

操上 : 選手や観光客が海外から東京にたくさん来るでしょう?帰りの飛行機はガラガラだから安かったんですよ。

藤原 : 僕もそうしますね。オリンピックにはあまり興味がないので。

守谷 : そこは似てらっしゃいますね。興味がないものには興味がないとハッキリしているところとか(笑)。

7 0 年代、日本のファッションが本格的に始動

藤原 : この前久しぶりに原宿を通ったら、神宮前交差点にあったロールケーキのコロンバンのビルとか、表参道交差点の角のスーパー・アズマが入っていたビルがなくなっていましたね。

操上 : 今のキャットストリートは、オリンピックの頃まで川(渋谷川。64年に暗渠あんきょ化)だったんですよ。

藤原 : 僕が原宿に来た82年頃は公園でした。砂場があってブランコがあって。今の表参道のラルフローレンから千駄ヶ谷方向、ジャンクヤードの先に、昔ガレージパラダイス東京(50’Sファッションと古着の店)があって、あの辺りから表参道まで公園でした。

守谷 : ヒロシさんの事務所は遊歩道の前は、青山通り寄りでしたよね?

藤原 : 最初のエレクトリックコテージ。90年代前半ですね。上京した頃もそのあたりに住んでいました。当時、表参道に嫌な店ができたんですよ。真っ白なキー・ウエスト・クラブ(84年にオープンしたカフェバー)。下に砂が敷いてあって……。あれがバブルの象徴だったけど、一瞬でなくなりましたね。

日本のファッション創世記を
牽引した雑誌「流行通信」

守谷 : 今年発表されたミキモト×コムデ ギャルソン ジュエリーの撮影は操上さんがされていますが、川久保(玲)さんや(山本)耀司さんとの出会いはいつ頃ですか? それこそ原宿時代?

操上 : 最初に川久保さんに会ったのは彼女がスタイリストの時だから、……多分60年代の終わりですね(コムデギャルソンは69年スタート)。

守谷 : おー! それはすごい。

藤原 : ギャルソンやヨウジはどこにあったかな? フロムファースト? 渋谷パルコにギャルソンはあったけど。

操上 : ギャルソンは確か、フロムファーストの2 階にありました(ヨウジヤマモトはまだワイズの時代で、ベルコモンズに76年に初の直営店出店)。

守谷 : スタイリストの川久保さんを愛車のポルシェに乗せていたんですか?(笑) どういう出会いでした?

操上 : 仕事だよね。

藤原 : 60年代からファッションの仕事は多かったんですか? 

操上 : 60年代はあまりなかったです。70年代になって『流行通信』(66年『森英恵流行通信』として創刊し69年から一般誌)のようなファッション雑誌が出てきて僕も仕事をするようになって。

藤原 : 買ってたなぁ。僕、何度か出たこともあるけど、買ってたのは70年代。

守谷 : 70年代の『メンズクラブ』は探して集めていたことがありますが、創刊当初の『流行通信』はどんな感じだったんですか?

藤原 : ザ・ファッションという感じです。イッセイ(ミヤケ)とかカンサイ(ヤマモト)とか。今と違って、海外のコレクション情報が、2 か月後にやっと見られるという時代でした。

操上 : 耀司さんとは『流行通信』でファッションページの撮影をしたのが最初ですね。テレ朝通りのアトリエに行って。『男子専科』(50年に創刊したメンズファッション誌)では本人のポートレートを撮ったこともあります。

守谷 : ありましたね、『男子専科』。でも、ヒロシさんが『流行通信』に出ているイメージは、僕には全然ないです。

藤原 : それはツバキハウス(新宿にあった伝説のディスコ)で遊んでいて、撮影に誘われて、って軽い感じですよ。

守谷 : 操上さんが川久保さんと仕事をしたのも『流行通信』ですか?

操上 : そこは違いますね。気付いたら川久保さんは、あっという間にデザイナーになっちゃったからなぁ。

守谷 : 耀司さんと川久保さんって、同い年ですよね(川久保玲は42年生まれ、山本耀司は43年生まれ)。二人とも慶應(義塾大学卒業)ってのがすごいですよね。

守谷 : 僕的には耀司さんと言えば、操上さんが盟友というイメージしかない。

操上 : 若い時から撮ってますから。でも同世代じゃなくて、実は10歳くらい下です。

ギャルソン、ヨウジとともに
ゴルチエが輝いていた80年代

守谷 : ヒロシさんはギャルソン、ヨウジは通らなかった?

藤原 : いや、好きだったよ。80年代のロンドンってギャルソン、ヨウジがめちゃくちゃ売れていたの。僕はセディショナリーズが好きだったから、セールで買って持っていって、物々交換して(笑)。めっちゃレアものを手に入れました。ロンドンの人にしてみたら、セディショナリーズはひと昔前のものだから、もういらないと。逆にギャルソン、ヨウジが最先端だったので欲しいわけ。ワイズ スーパー ポジション(今のヨウジヤマモト青山本店が先の名称で84年にオープン)ができる前の話です。

守谷 : その頃って、ブランドは何がトップで売れてた時代ですか?

藤原 : メンズではヨウジ。ヨーロッパのブランドでは(ジャン=ポール)ゴルチエあたりだったかな?

守谷 : ゴルチエ!?

藤原 : 同じようにキラキラした時代だった感じがありました。

守谷 : いやぁ、面白くてたまんない(笑)。

藤原 : ははは。昔話(笑)。原宿に戻すと、当時他に何があったかな。モンクベリーズ(明治通り沿いの地下にあったクラブ)でDJしてたんで……。あ、その向かいにデプト(81年にオープンした京セラビルの地下にあった人気の古着屋)がありました。

守谷 : いやぁ、自分もよく行ってたなぁ。今や普通になったモードとストリートのコラボ。これも必然というか、正直いつか絶対あるなと。特にヒロシさんは。と思ってました。

藤原 : その前に脈々と、原宿にはいろいろなことがあったんですよ。クリームソーダ(80年前後に50’Sブームを牽引した店)の行列もそうだったし……。

操上 : アンダーカバーも原宿だよね。

守谷 : 僕はヒロシさんが“与えた人”にしか見えないんですよ。僕にもそうだし、ジョニオ(高橋盾)さんや滝沢(伸介)さんとか、その他大勢。(大川)ひとみさんは違いますが……。盟友っていますか?

藤原 : いないね。僕は年上の人に可愛がってもらってきたから。

守谷 : 一人でロンドンに行ってとか、つるんでいないイメージですよね。

藤原 : 唯一、原宿のロンドンドリーミング(神宮前交差点八角館の裏手にあったロンドンファッションの店)で働いていたマサキ(加藤正樹)くらいかな?

守谷 : あ、ジャック・オブ・オール・トレーズ(ジャスティンデイビズなどを取り扱う会社)の社長、兄貴だ(笑)。

藤原 : ロンドンでもたまに会ったり。

守谷 : それでですか!見た目が全然違うのに「ヒロシがさぁ」って言っているのを聞いたことあります(笑)。

藤原 : 加藤先輩です(笑)。

守谷 : 僕が影響を受けたヒロシさんから始まった裏原時代、もう30年近く経っちゃいましたね。

藤原 : そう言ってもらえる若い世代も多いんですが、僕が憧れた原宿は操上さんの世代が作り上げたものなので。

守谷 : ヒロシさんにとっての憧れは、誰だったんですか?

藤原 : 僕はロンドンのカルチャーに憧れていたので、マルコム(マクラーレン)とかヴィヴィアン(ウエストウッド)。あと東京に出てきた頃は(立花)ハジメさん、トシちゃん(中西俊夫)とか(佐藤)チカちゃんとか、プラスティックス(テクノポップ・バンド)のメンバー。彼らは70年代にロンドンに乗り込んで、海外レーベルと契約したんですよね。その前の、サディスティック・ミカ・バンドもそうですが、あの時代に外国の中に入っていくってすごいなと。

世代間のバトンが世界の原宿を築いてきた

70年代に海外に出ていった
クリエイターのDNAを継承

守谷 : 僕は今、ヒロシさんもコラボされたルイ・ヴィトンさんともお付き合いがあるんですが、まさかここまで来るとは思っていませんでした。

藤原 : そもそも操上さんたちが作ってくれたベースがあるからこそ、です。

守谷 : ゴローさんのエピソードもすごいですが(第1回掲載)、ピーター・フォンダと仲良しって、ありえないですから。

藤原 : 僕も一人でロンドンに行って、そういうDNAを受け継いだというか。

守谷 : 操上さんは何をきっかけにカメラマンに?憧れた方とかいますか?

操上 : ロバート・キャパのノルマンディ上陸作戦の写真を見て、感動したのがきっかけです。でも僕は戦争写真家になりたいと思ったわけではなく、写真をやると旅ができると思ったんです。

藤原 : 僕も前にそのエピソードを伺いました。それで北海道で空襲を受けて、ここにいちゃだめだと思ったと。

守谷 : 戦争を経験した人と、今話していると思うと……ウチの親父もそうでした。

操上 : 北海道で、空襲を1日3回も受けましたから。馬に乗って逃げました。

藤原 : 僕の父は昭和4年生まれで、潜水艦で外地へ出兵していたらしいです。

守谷 : 親父は満州で生まれて、戦争で弟が死んだという話を聞いています。

藤原 : 祖父が明治生まれと聞いていたので、曾祖父は江戸時代の生まれかもしれない。侍は意外に近いなと思って、家系図を取り寄せたら、文政何年とか入っていて。手の届くところにちょんまげいるじゃんって(笑)。今、大学(京都精華大学ポピュラーカルチャー学部・客員教授)で18歳の生徒に教えているんですが、「昭和時代はどんな感じでしたか?」と聞かれたりするんですよ(笑)。確かに僕らにとっての明治時代の感覚に近いと思うんだけど、当然、ガクッときました(笑)。

守谷 : 大学生がですが?そうかぁ、マジか……。(苦笑)。

藤原 : 明治時代はけっこう長かったけれど、何があったか詳しくは知らないし。

守谷 : そう考えると原宿は昭和の象徴かもしれない。

藤原 : セントラルアパートなんか昭和の最たるモノだから(笑)。

守谷 : そうかぁ。ヴァージルたちが原宿に影響受けてるのって……昭和ですか。

藤原 : 平成を通り越して、令和だし(笑)。操上さんが原宿に来た61年は、ちょうど昭和の中間ぐらいですよね。

守谷 : そうなると日本の文化を振り返りたいという気持ちにはなりません?

藤原 : 僕はGHQ(戦後の日本を統治した連合国軍最高司令官総司令部)とか、ダークサイドな部分が好きだから、昭和前半も個人的に振り返っているけど、東京のカルチャーの始まりは60年代。戦争(第二次世界大戦は45年に終結)が終わって、GHQが解体(52年)してからですよね。操上さんはそこにいらっしゃったわけだから。

守谷 : なるほど。そうすると操上さんはゼロベースですね。ゼロスタート。

藤原 : 本当だね。操上スタート。61年からセントラルアパートにいるってね。

守谷 : レベルが違う(笑)。原宿を作り上げたってところで。すごい対談だ。

藤原 : 今年はコロナ禍で、世界中で暴動もあって、最低最悪の年と言われているけれど、30年後に振り返ったらいい対談できると思うよ(笑)。

操上 : どういう風に収まっていくのか?僕も分からないけれど、2020年って忘れられない年になるね。

守谷 : ヒロシさん今年、どうですか?今最悪な年とおっしゃいましたが。

藤原 : 僕はいろんなことが起こるのは、俯瞰して見られるから。

操上 : 目撃者ですよね。僕なんか戦争と両方目撃してるから(笑)。

守谷 : 感服でございます。