大川ひとみ MILK/MILK BOY | それぞれの原宿物語 a long time ago in harajuku Vol.4

photography by KAZUMI KURIGAMI
text by HISAMI KOTAKEMORI

世界から注目されるファッション都市、原宿にフォーカスする連載の第4回。国内外を通して、世代の異なる様々なクリエイターと交流を持ち、常に新しいストリートスタイルを提案するMILKの大川ひとみさんが登場。デザイナーになった経緯、セントラルアパート時代や70年代のロンドンでのエピソード、そして現在の原宿での生活。好奇心旺盛なアティテュードは、今も変わらず!

今と変わらず絵を描くのが好きだった子供時代

幼少期からアメリカの
ファッション誌が身近に

守谷 : 大川さんはヒロシさんをはじめ、たくさんのクリエイターをフックアップされていますが、僕が一番聞きたかったのはMILKを始めたきっかけです。大川さんが始めた頃は、ブランドも多くなかったですよね?

大川 : なかったですね。私は京都の美術大学に通いましたが、それは小学校の頃から絵を描くのが大好きだったからなんです。今でいうファッションイラストのような感じで。

守谷 : そうなんですね。

大川 : 女の子のイラストを描いて、着せ替え人形のようなものを作って遊んでいました。11歳の時には、同じ洋服の絵型をたくさん描いて、水玉、チェック、お花といった具合に柄を変えたり。思い返せば、今と変わらないようなことをやっていました。

守谷 : へぇ。当時、すでに何か憧れるようなブランドはあったんですか?

大川 : ないですよ。日本には何もなかったです。父親が医者で、家が比較的裕福だったので、母親は『ハーパースバザー』(NYで1867年に創刊された歴史あるファッション雑誌。現在も世界中で発行)なんかを見て、お洒落をしていました。だから家に洋雑誌がたくさんあったんです。

守谷 : ご実家が!

大川 : 50年代から60年代にかけてはアメリカが一番いい時代で、ファッションも牽引していました。

守谷 : ロンドンとかではなくて、アメリカが主流だったんですね。

大川 : そうです。オートクチュールからプレタポルテへとファッションが移行していく過渡期でした。子供ながらに素敵だなと思いましたが、日本には何もないので、自分で絵を描いて作るしかなかったんです。

守谷 : 子供時代にすでに洋雑誌を見ていたなんて凄いですね。

大川 : はい。ファッション誌の他にもカタログ雑誌とか。昔のアメリのカタログ雑誌はとても素敵でした。そういう家庭で育ったので、自然と洋服の勉強をしていたんですね。

守谷 : なるほど。

大川 : 親からは医者になりなさいと言われましたが、大学に進学する頃には写真がやりたくなっていて。美術大学に入って、カメラ部に入りました。その頃日本にも、ファッション写真家というものが出てきたんです。

守谷 : どんな方ですか?

大川 : 影響を受けたのは立木義浩さんです。海外の雑誌にもカッコいいモード写真がたくさん出ていましたが、立木さんのは日本的というか、どこかちょっと可愛いんですよ。そこに惹かれました。立木さんが可愛い女の子をよく撮影していたので、私も妹をモデルにしたりして。モノクロで撮影した写真を暗室に入って、部分的に焼き込んだりして、ファッション写真に仕上げていました。楽しかったですね。

守谷 : そこからどうやってMILKにつながっていくんですか?当時から洋服が好きだったんですか?

大川 : もちろん!でも洋服というよりもグラフィックだったり、アートだったり、人と違うことがしたいという気持ちが強かったです。

守谷 : 大学生の頃、大川さんはどんな服を着ていましたか?

大川 : あまりよく覚えていませんが、たぶん普通の服でしたよ。暗室作業の時にあまりにも暑くて、水着を着て作業をしたことは覚えていますが。

守谷 : 水着ですか(笑)。

大川 : 大学を卒業した後、原宿に出てきてMILKを始めるんですが、自分で何かやるなら、一番カッコいいところでスタートしたいと思って、セントラルアパートに決めました。

守谷 : そもそも何故東京の原宿で、しかもセントラルアパートで始めようと思ったんですか?

大川 : 高校生か大学1年生くらいの時に、原宿に来たことがあるんです。
今は無くなってしまいましたが、原宿駅を降りるとすぐ歩道橋(2011年に撤去)があって、そこを上って表参道を見ると、大きな通りがダーッとまっすぐに伸びていて、「ここはやっぱり最高にカッコいい、ここにいたい!」と思ったんです。

守谷 : 当時から原宿が一番先端のイメージでしたか?カルチャーの場所として、セントラルアパートにクリエイターが集まっていたから?

大川 : そういうことはあまりよく分かっていませんでした(笑)。単純に道が素敵、セントラルアパートがモダンでカッコいい。それだけです。今でも時々、代々木公園側の歩道橋に上って表参道を見るんですが、そうすると最初に来た時の20歳前の自分の気持ちにぱあっと戻るんですよね。

東京にない可愛い女の子の
服に時代のムードをプラス

守谷 : どうして洋服を作ろうと思ったんですか?

大川 : 自分の欲しいと思う服が、日本になかったからです。

守谷 : 独学ですよね。

大川 : そうですね。でもラッキーなことに専門的なスタッフがすぐに集まったんです。

守谷 : 22歳という若さでブランドを立ち上げることができたのは、誰かパートナーがいたんですか?

大川 : 親が出資してくれました。準備する時から、弟や妹も手伝ってれたんで、心強かったです。

守谷 : MILKというブランド名はどうやって決まったんでしょうか?

大川 : あんまりよく覚えていないんです。何となくMILKかな?って。

守谷 : ノリですか!パンクですね。

大川 : そんなに深く考えていなかったんですよ。まだ22歳だから(笑)。でも仕事としてやっていくためには、自分のやりたいことをそのままやるのではなく日本の流れに合わせていかないといけないじゃないですか?

守谷 : 分かります。

大川 : 本当はその頃から軍モノが大好きだったんです。アメリカ軍とかドイツ軍とか。軍モノの服というのは政府がもの凄くお金をかけて作るので生地はもちろん、ボタンなども特注です。だから素晴らしいモノができてカッコいいのだと。

守谷 : そうですね。

大川 : その作り方は自分ではできないじゃないですか。戦争もないし、周りにやっている人もいないし。それに自分は女性だから、その路線は厳しいだろうと分かっていました。

守谷 : スタートの頃ですよね。じゃあ、女の子の可愛い路線の服は何がきっかけで始まったんでしょう?凄くオリジナルに見えますが、何かヒントがないと作れないですよね?

大川 : それはそんなに難しくないですよ。可愛いものも好きでしたから。その頃、東京に可愛い女の子の服はなかったので、この路線は成功しました。それでもやっぱり私はロンドンが好きだったので、ロンドンにも遊びに行って。当時ロンドンで流行っているものと東京で流行っているものに、それほどギャップがなかったんですよ。東京にもプラットフォームブーツを履いた人はいたし。

守谷 : ロンドンブーツですか?

大川 : そうです。パンタロンなんかも、原宿には普通に穿いている人がいましたから、自然に時代のムードも取り入れて服を作っていました。

守谷 : MILKが一番最初に掲載された雑誌とか覚えていますか?

大川 : 『アンアン』(1970年創刊)ですね。80年代は『オリーブ』(1982年創刊)が多かったです。

守谷 : 『オリーブ』は、最初『ポパイ』の増刊号(1981年に発刊)として出ましたよね?

大川 : 『ポパイ』(1976年創刊)が創刊される前の出来事ですが、MILKでポパイとオリーブを編み込んだセーターを作ったことがありました。その頃、版権のこととか何も知らなかったので、アメリカの版元の会社からクレームが来まして(笑)。

守谷 : そんなことがあったんですね。雑誌ができる前にポパイとかオリーブはどうやって知ったんですか?

大川 : 子供の頃からテレビでアニメが放送されていました。わりと身近なキャラクターだったので作ったんですが「勝手に作ってはいけません」とアメリカの本社からわざわざ担当者が来て。ただ可愛いから編み込みたい!と思っただけなんですけどね(笑)。勉強になりました。

MILKの“可愛い”とは真逆のことをMILK BOYで

ジョン・レノンなど有名人が
顧客だったMILKBOY

守谷 : そうでしたか(笑)。さらにもう少し聞きたいんですが、その後の時代に、どうやってヒロシさんとか!?

大川 : それはまだまだ先の話で、長いですよ!

守谷 : 分かります(笑)。

大川 : まずそれは置いておいて、70年にMILK、74年にMILKBOYをスタートしました。

守谷 : 最初に作った服とか、覚えていますか?

大川 : もう覚えてないですよ(笑)。

守谷 : ですよね(笑)。MILKBOYがパンクに至るきっかけみたいなのが分かればありがたいでんすが。

大川 : 70年頃は、パンクはイギリスでもまだ生まれていません。

守谷 : 何がきっかけでブランドが成り立っていったのですか?

大川 : MILKの最初のお店はセントラルアパートの一階の角でした。10坪くらいの細長い物件で、奥を倉庫にしたんですが、廊下みたいに細長いから壁がたくさんあるじゃないですか?だからそれを活かして壁にポスターをピンナップして、その間に洋服を置いていました。サイケデリックとかフラワーチルドレンの時代で、そういうポスターがたくさん手に入ったんですね。それを私が、毎日脚立に上ってきれいにディスプレイして。今でもディスプレイの作業は大好きなんですが、MILKのスタートはそんな感じでした。そんな独特のお店のスタイルが評判になってお客さんが来るようになるんですが……。こっから面白いですよ。

守谷 : はい!

大川 : MILKの可愛い路線とは、正反対のことをやろうと思ったんです。それで
74年にMILKBOYを作ったんです。

守谷 : そうなんですね。

大川 : そのお店は今のMILKのはす向かいにありました。内装は倉俣史朗さん(日本を代表するインテリアデザイナー)にお願いしたので、お金は掛かりましたがもの凄くクールな内装に仕上がりました。

守谷 : 倉俣さんにですか。

大川 : 大好きだったハリスツイードのジャケットを洗濯して古着っぽい風合いにして。その頃はイギリスやイタリアから上質な生地を仕入れられるようになっていました。カッコいい大人の洋服だったので、著名人が顧客になり、ジョン・レノンやデヴィッド・ボウイ、西城秀樹も来ました。

守谷 : それは凄いですね。

大川 : ヨーコ(オノ)さんと二人で、よく来てくれました。

守谷 : いつぐらいの話ですか?

大川 : 確か75年から78年くらいですね。ジョンは日本が大好きで、来日した時はうちにきてお買い物してくれたんです。トレードマークになっていた丸眼鏡も、当時うちがセレクトしていた白山眼鏡のものです。

守谷 : アイコンの丸眼鏡が?

大川 : 洗いをかけたハリスツイードのジャケットも買ってくれて、いいお客さんでした。それで「メンズも凄く楽しい!」と、もともとメンズの服が好きだったこともあって続けていくんですが、ある日突然、嫌になったことがあって。

守谷 : そうなんですね。

大川 : 自分の中で「やっぱりストリートだ!」と思った時があって。仕事としては面白かったのですが、自分がやりたいことはこれじゃないと、コンセプトを変更したんです。

守谷 : 今MILKの歴史の話になっていますが、ざくっとしていいですよ。

大川 : で、色々あってパンクスタイルに至るということですよ。

インスパイアの源は
パンク以前からロンドン

守谷 : だいぶ省略されましたが(笑)、何がきっかけでパンクへ?

大川 : それは自然に、ロンドンが好きだからそうなったんです。70年代の最初の頃にロンドンに行っていた時、ブリッツというクラブがあって。セント・マーティンズ・スクールという美術学校の生徒が集まっていたんだけど、彼らのファッションが凄くお洒落で。イギリスだから古着のタキシードとかたくさんあるじゃないですか?それにフリルの付いたナポレオンスタイルのシャツを着たりして。お金がなくてもハイグレードなお洒落を楽しんでいる。彼らのみなぎる才能に感動しました。

守谷 : パンクが始まった頃?

大川 : まだセックス・ピストルズ(パンクを代表するバンド)が登場するずっと前です。ロンドンにニュースタイルのムーブメントが起きて。その頃にロンドンでスティーブン・ジョーンズと知り合ったんですよ。

守谷 : ああ、帽子のデザイナーの。

大川 : 彼とは今も仲がいいです。それで、しばらく経ってパンクになってくるんですけど、その前に、ロンドンにグラニー・テイクス・ア・トリップ(スウィンギングロンドンを牽引したブティック)という店があって、そこがマーク・ボラン(T-レックスのヴォーカル。グラムファッションのアイコン)、分かります?

守谷 : 分かりますよ。

大川 : グラムロックの洋服を作っている店だったの!そこでゴールドのキラキラしたタキシードを買って、その後パリに行くと今度はイヴ・サンローラン リヴ・ゴーシュのお店があって。そこでは黄緑色の上品なジャケットを買いました。自分はエレガントな服もラディカルな服も、両方好きなんだと思いました。

守谷 : そうでしたか。

大川 : 実はグラニーって誰がやっていたんだろう?とずっと思っていたら、今はヴォーグ ジャパンのディレクターになっているジーン・クレールが若い頃にやっていた店だったんですよ!

守谷 : なるほど。

大川 : 彼ともずっと後で知り合って、今でも大好きな友人です。70〜80年代はロンドンのファッションを牽引していた重要人物が頻繁に来日して遊びに来てくれたので、原宿とロンドンは近かったんですよね

時代のアイコンたちが誌面を
飾った伝説の『MILKーBAR』

1996年から2001年まで不定期に、8号だけ発行されたブランドマガジン。企画から編集まで全てMILKチームが行い、充実したカルチャー誌として店頭でも販売され話題に。ダブル表紙も特徴で、創刊号はMILK面を小泉今日子さん、MILK BOY面を藤原ヒロシさんが飾った。最新コレクションの紹介だけでなく、インタビューやロンドンキッズのスナップなど内容も多彩。凝ったレイアウトやグラフィックで読者を虜にした。

交友関係の決め手は
年齢ではなく感性

守谷 : 凄いな。それでMILKBOYが今のようになるのは何年ですか?

大川 : 今のようなストリート路線の新しい形になったのは86年ですね。

守谷 : 今も大川さんがデザインされているんですか?

大川 : 私たちはチームワークなので、私を入れてだいたい10人くらいのデザイナーでやっています。私は今も店頭に立って販売することもあるので、凄くよく働いていますよ(笑)。そう考えるとスタートの時から、何も変わっていないですね。

守谷 : 若い子からインスピレーションを受けるスタンスも変わらない?

大川 : 私は別に若い人だけが好きなわけではないです。守谷編集長は犬を飼ってますね?私も犬を飼っていてるので犬トモおじさんもいます。

守谷 : おじさんの友だちですか(笑)。

大川 : おじさんでも18歳の男の子の感性を持っている人はいるし、逆に18歳でも70歳ぐらいの精神年齢の人がいます。年齢は関係ないですね。

守谷 : 僕の『スマート』時代、MILKは常にストリートの新しい人たちが集まっていたイメージでした。ヒロシさんとはどこで出会われました?

大川 : ツバキハウスです。スタイリストのお友達が、ちょっと変わった子がいるよ。カッコいいよって紹介してくれたの。

守谷 : 滝沢さんも言ってましたけど、みんな大川さんが声をかけたというイメージしかなかったです。

大川 : いえいえ。その時はまだみんな若いから、座って気楽に話をして、友だちが友だちを呼んでつながる感じで。その中にたまたまヒロシ君がいたってことじゃないかな?

守谷 : 原宿は大川さんから始まったと聞いているんですが、今もお付き合いはありますか?

大川 : ヒロシ君とは今も仲良くしていますよ。電話で話したり、たまに会ったり全然変わらない。私の心の中ではヒロシ君は、18歳の才能のある男の子でとまっているから。

守谷 : そうなんですね(笑)。ヒカルさんやジョニオさんはどうですか?

大川 : ヒカル君とジョニオ君はまた違うタイプです。彼らは東京セックスピストルズ(高橋盾、岩永ヒカルらが文化服装学院時代に結成)の時にヒロシ君が紹介してくれました。

ストリー トで何かが起こり
毎日魅力的な原宿

守谷 : 今でもインスパイアのメインはUKなんですか?

大川 : そんなことないですよ。今、もうイギリスはつまらないです。その時代時代で、ドイツが良かったり、ロシアが良かったり。いいと思ったら勉強して、すぐそっちへ行きます。フットワークは軽いんですが、飽きるのも早いです(笑)。

守谷 : はははは(笑)。だからブランドも長く続けらたんでしょうね。

大川 : 日本は春夏秋冬があるから、3か月に1回展示会があるので、ハードスケジュールなんですよ。

守谷 : 未だに、ですか?凄い。

大川 : そのたびに撮影もあるし、もう大変です。年間スケジュールをばっちり組んで、必死ですよ。

守谷 : 普段どんな24時間ですか?ちなみにお住まいは?

大川 : 原宿です。仕事で何かあったらすぐ行かなきゃいけないんで。

守谷 : 家も原宿?ずっとですか?

大川 : ずっと原宿ですよ。

守谷 : えーっ!それほどの原宿の魅力、居続けられる理由は?

大川 : 平和だからじゃない?どんな格好していても、誰も何も言われないし。それから原宿はね、風がいいんですよ。好きですね。毎日魅力的。

守谷 : 毎日?

大川 : 毎日が新鮮。家を出て会社に行くまでの間に誰かに会うじゃないですか?犬トモのおじいちゃんに会ったり、お店に来た可愛い女の子と会ったり、短い通勤の途中にいろんなことが起こるんですよ。だいたい素敵なことです。会社に行っても凄い楽しいですよ。キツくて忙しくても、喜びを感じます。お店の子とも、よくお茶に行きますが、MILKの販売員はみんな可愛いから、一緒にいるだけで気分が上がります。

守谷 : 凄い(笑)。働いている人みんな嬉しいですね。

大川 : 本当に勉強になるんですよね。可愛い子と話をするだけで、ああやっぱり幸せ、と思っちゃう。

守谷 : 失礼かもしれいですけど、このままずっと死ぬまでMILKで働き続けたいと思いますか?

大川 : もう、辞められないですね。ライフワークみたいにやっているから。

守谷 : 今でも最初からのスタンスを変えないのが、カッコいいです。