岩永ヒカル BOUNTY HUNTER | それぞれの原宿物語 a long time ago in harajuku vol.5

photography by KAZUMI KURIGAMI
illustration by CHING NAKAMURA
text by HISAMI KOTAKEMORI

世界的ファッション都市、原宿に縁のあるクリエイターをインタビューする連載。第5回は学生時代に伝説のバンド、東京セックスピストルズにも参加、日本のカルチャーに大きな影響を与えたバウンティーハンターの岩永ヒカルさん。強面に見えて、実はとてつもなく優しい、若い世代にも慕われる存在。パンクとオモチャを愛し、裏原宿時代から現在に至るまで独自のスタイルを貫くストリートアイコンに、今の思いや心境を聞いた!

90 年代に確立したスタイルは今も変わらず

裏原宿クリエイター
きっての優しい人

守谷 : 今日はありがとうございます。

ヒカル : いやいやいや。前回が大川ひとみさんと聞いて物凄く驚きました。だって、ひとみさん、雑誌に出ないでしょう?見たことないよ。

守谷 : ですよね。ありがたいです。

ヒカル : 写真も撮ってたでしょう?MA-1に合わせて髪をピンク色にしていて、可愛かったですね。

守谷 : 本当に。ヒカルさんもお店始めて、もう長いですよね?

ヒカル : 今年で25年になりました。

守谷 : 25年ですか!オープンした時、ヒカルさん、お幾つですか?

ヒカル : 27歳だったかな。

守谷 : 僕も同じくらいで独立しました。ちなみに今日撮影してくださった操上さんとお仕事されたことは?

ヒカル : 初めてです。スタジオがスゲーカッコよくて、超緊張しちゃった。写真も、撮影していて凄い吸い取られましたよ。「あー!」みたいな。

守谷 : 魂を吸い取られるみたいな?

ヒカル : 俺、ゴクッてなることがあんまりないんだけど、今日は久々にキタ!こういう経験はありがたいです。ポーズもいつもだったら「俺は俺だから」みたいになるんですが、操上さんに言われた通りにやったら全然違う引き出しが開いたから、ビックリした!(笑)

守谷 : だけどヒカルさん、全然変わらないですね。

ヒカル : いやいや、白髪も増えたし太っちゃったし。色々と大変ですよ。

守谷 : もしや鍛えていますか?

ヒカル : 何もしてない。前は革ジャン着てたから痩せてなきゃいけないと思ってたけど、革ジャンが増えすぎて、もういいかなって半パンに戻ったら、こんな感じになりました。

守谷 : だけど着けてるリングとか……。

ヒカル : そういうのは何も変わんないですね。この指輪も25年前ぐらいからずっと、ですよ。グレートフロッグ。

守谷 : なんでずっと変わらないんですか。自分のスタイルだから?

ヒカル : いやー、良くそうやって言われるんですが。格好のことだけじゃなくて、よくずっとパンクばっかり聴いてられるねって。でも別に、そうしようって努力したつもりもないんですよ。したいことを、ただやってるだけなんです。
守谷 : 素敵ですよね。僕がヒカルさんに初めてお会いしたのは20代で、今もう50歳が見えてきています。

ヒカル : 俺なんか50歳なんてもう後ろにいっちゃいましたよ。マジで。

守谷 : もう過ぎてらっしゃる?

ヒカル : 52歳ですよ、俺。

守谷 : 本当ですか?見えませんね。

ヒカル : だって映画とか安く見られるんだから。

守谷 : はははは(笑)。でもヒカルさんイコールパンクで、格好も全然変わらない。そのスタンスがカッコいいというか、巡って来たというか。

ヒカル : いやいや。

守谷 : 僕はそういう感じがしてますけど。『スマート』時代に取材させていただいた時、ヒカルさんと滝沢さんが凄い優しかったんです

ヒカル : 優しかった?俺が?

守谷 : 逆に僕が恩返しできてないですけど。当時ヒカルさんは、滝沢さんみたいになりたいって。

ヒカル : マジか! : 俺はタキシンになりたいな。あんな優しい神様みたいな人間になりてーよ。マジで。

守谷 : って、おっしゃってました(笑)。

ヒカル : 今でもそう思っているもの(笑)。言ってることも変わんないね。

守谷 : ヒカルさんイコール優しくて話も楽しくて。しかも僕もオモチャが好きだったんで、トイと洋服というのが一緒で、パンクやハードコア、黒も好きで、そこも全部同じという人も、ヒカルさんが初めてでした。僕にとってはオアシスです。

ヒカル : そうだったんだ。

守谷 : 僕が当時、(熊谷)隆志君とか、(野口)強さんとか、(藤原)ヒロシさんとかの担当だったので。

ヒカル : そのメンツじゃ、俺は一番ゆるいもんな。マジで(笑)。はははは(爆笑)。

守谷 : 当時、バウンティーハンターで買ったソフビのオモチャとかも未だに持っていますよ。

ヒカル : ありがとう。

守谷 : はい。あの当時、原宿にいた方のなかでは一番、優しさの塊だと思っていました。

ヒカル : そこ太文字にしといて(笑)。もしかして好きなものが同じだから心開いてたのかもしれない。

守谷 : 僕が『スマート』に異動した時はNIGO®さんやバウンティーさんにも取材に行ったんですが、誰も何も教えてくれなくて。「とりあえず行ってこい!」って感じでけっこうキツかったんです。え? : あの有名な人の取材にいきなり?みたいな(笑)。

ヒカル : なるほどねぇ。

守谷 : その時と今と、見た目も話し方も雰囲気も、ヒカルさんは変わらない。変わらず優しくて楽しい。

ヒカル : そう(笑)。

守谷 : 眼鏡も含めて、全部変わってないんですか?

ヒカル : 眼鏡は変わった。その頃着けていたブリコは無くなったし、その後のゼロワンもなくなって。マーフィーズ・ロウ(82年にNYで結成)ってハードコアパンクのバンドがあって。そこのジミーがオフにレイバンを掛けていたり、ランシド(ハードコアパンクを代表するアメリカのバンド)のティムもレイバンを、ヒュッと掛けていて。何でもない感じがスゲェカッコ良くて。それで最近は普通っぽい眼鏡をかけるようになった。

守谷 : ヒカルさんの、東京セックスピストルズを経てバウンティーで確立されたスタイルって唯一無二ですよね?

ヒカル : なんでそんな上げてくれるの?おい、ジュース買ってこい!(笑)

パンクとハードコアがファッションの原点

守谷 : 『原宿物語』は、今まで原宿でやってきてどうでしたか、という話を伺ってきたんですが、最近は、皆さんの生き方や、今どういう活動をしているのか、そういう話も聞きたいと思い少し変えさせてもらってます。

ヒカル : OK、そうなんだ。

守谷 : ヒカルさんのスタイルって、かなり異質ですよね。一番影響を受けたのは、何だったんですか?

ヒカル : バンドですよね、結局。

守谷 : そのバンドは?

ヒカル : やっぱり最初はセックス・ピストルズだったんですが、時代をふっと見渡してみると世の中ハードコアになったじゃないですか?そうするとハードコアのTシャツが着たくなるじゃないですか?でも佐世保の田舎だからないでしょ?だから通信販売をするわけですよ。

守谷 : お幾つくらいの時ですか?

ヒカル : 中学時代がピストルズで、高校に入るとハードコアになってました。『ドールマガジン』(80年創刊のパンクに強かった音楽誌)の存在を知ってこんなのがあるんだと買って。パンクの洋服のカタログも載っていたから、それを見て取り寄せて。

守谷 : 佐世保だと、ファッションのお店もあんまりないですよね。

ヒカル : 何もないっすよ。本当に何もない。だからパンクのTシャツなんかは通信販売で買うしかないし。これはちっちゃい時からなんだけど、周りと違うのが凄い良くて。うちの母が佐世保の基地で働いていたから、アメリカのオモチャや食べ物なんかが家にたくさんあったんですよ。

守谷 : お母様が。基地で。

ヒカル : だから子供の頃、G.I.ジョー(アメリカのハズブロ社による兵士姿のアクションフィギュア)も喋るタイプを持っていて、友だちに見せると皆、スッゴイびっくりするじゃないですか?「えー!?」みたいなリアクションを取るのが好きというのは、今もそうですが、昔からありました。人が持ってないもの、世の中にあまりないものがいいという価値観は当時から強かったですね。

守谷 : ということは、パンクとハードコアに加えて、アメリカというのも重要なキーワードですか?

ヒカル : そうですね。子供の頃のアメリカものの体験があってからの、
パンクだと思うし。だから高校生になって色々調べて、佐世保にはレコード屋さんがないから長崎や博多にレコード買いに行ったり。

守谷 : その当時、ファッションで参考になる人っていました?

ヒカル : いや、(ワンクッション置いて)全部バンドですよ。Tシャツもバンドから。ハードコアのバンドTって、普通に黒じゃないですか?だからバウンティーに黒が多いのは結局それなんです。

守谷 : そうだったんですね。

ヒカル : 95年頃に、黒のTシャツなんて売ってるところなかったでしょ?みんな、白でしょ?今じゃ黒が普通になったけど。デッカいプリントとかも同じで、全部高校生の頃に喰らった衝撃が出てるの。

守谷 : 確かに黒Tもバウンティーのような大きいプリントとかも今、普通にありますけど、昔なかったです。

ヒカル : ないないない。

守谷 : 本当、ヒカルさんたちがオリジナリティというか。

ヒカル : 大きいプリントで、黒がなかったの。だから黒Tを作ったの。

「変わらないヒカルさん」がわかる貴重なアーカイブ!

右列上:1995年5月5日、子どもの日にオープン! 告知のために作られたチラシ。右列上から2番目:1996年に発売されたムック『アメイジングキャラクターズ』(白夜書房)に掲載された広告。カートで海外のトイショップ風の演出を。右列上から3番目:カルチャー誌『MILK-BAR』の3号に掲載されたMILK BOYのニットを着たヒカルさん。右列下:SENSE2013年6月号、尊敬するスケートシングさんのページに友情出演。左列上:1997年冬に発売されたオリジナルトイ、スカル君の復刻版。2019年春に復刻され今も不定期で入荷する。MADE IN JAPAN。左列下:1997年夏に初めて出したオリジナルトイ、キッドハンターはスケートシングさんによるデザイン。

周りと違う、ないものがいいという価値観

スケートシングに触発されて
クリエイターの道へ

守谷 : 学生時代にバンドをやって、そこからファションに至るまで、何人かキーマンがいると思うんですけど。ジョニオさんやひとみさんが大きかったですか?自分の人生に影響を与えていた人って、誰ですか?

ヒカル : (沈黙)俺、全然、スケシンちゃん(スケートシング。現C.Eデザイナー)だね。ぜーんぶシンちゃん。

守谷 : なるほど。

ヒカル : 俺、シンチャンがいなかったら今、バウンティーハンターをやってなかったと思う。本当にそう。

守谷 : 最初の出会いって、いつですか?

ヒカル : 一番最初は、俺が大貫憲章さん(「ロンドンナイト」を主催するDJ、音楽評論家)の運転手をやっている時で、20歳くらいだったと思います。鈴江のイベントに大貫さんの仕事で行ったんですよ。それにスパンク4というヒップホップグループが出ていて。メンバーに一人、ビニール袋を頭に被って口のところに穴を
開けて、マイクを突っ込んでウォーウォー言っている人がいたんです。

守谷 : かなり衝撃的ですね(笑)。

ヒカル : 「大貫さん、あの人、何すか?誰すか?」って聞いたら「スケシンちゃんだよ」と教えてくれて。しかも「スケシンちゃん、前はパンクだったよ」って。俺の中で当時、パンクの人以外は何か違うと思っていたから「あれでパンク?こういうのもあっていいんだ!」と妙に納得した気持ちがあったんだろうね。それで一気にシンちゃんにブワッて近づいたのかな。

守谷 : そういう出会いでしたか。

ヒカル : その後、オレ、物凄い交通事故にあって、一回、佐世保に帰ったんですよ。1年くらい療養して東京に戻ろうかと思った時、家がなかったんで、ジュン(高橋盾)の家に居候させてもらったんです。

守谷 : 大変でしたね。

ヒカル : そん時にジュンが家で、ヒョウ柄の半パンを穿いていて、「何それ?カッコよくねぇ?」って言ったら「これ、グッドイナフっていって、(藤原)ヒロシ君とスケシンさんの事務所に行けばありますよ」って。

守谷 : 最初、スケシンさんがグラフィックやってましたよね。

ヒカル : それでシンちゃんとこに行ったら「ヒカル君、スタジャンもあげるよ。ヒョウパンも穿いて」って。えー? 服ってもらえんの?って。

守谷 : グッドイナフにヒョウ柄、懐かしいですね。

ヒカル : そん時はストリートって言葉はなかったけど、ライブハウスに行くような人はバットステイン(アメリカのハードコアブランド)のヒョウ柄を穿いていて、そのアンダーグラウンドな中で、グッドイナフを穿いている俺が好きだった(笑)。

守谷 : グッドイナフが爆発的になる前ですね。

ヒカル : 93年、94年ぐらいかな。事務所ではシンちゃんがグラフィックの仕事をしているわけ。それでパンクでハードコアなのにデザイナーやってる!何かすげえカッコよかったんですよね。ヤベェみたいな(笑)。だから影響受けた、誰がカッコいいかって言われたらスケシンかも。

守谷 : では、そこからヒカルさんはBMXとかに乗り始めたり、横ノリの方の文化にも入っていった?

ヒカル : そう、自然に。ハードコアからメロコア、スケボーからスノーボードに流れるみたいに、世の中も色々変わってくるじゃないですか?自分も90年代のミクスチャーからそういうのにどんどん、行ったし。

バウンティーハンターで
オモチャとパンクを融合

守谷 : そこからバウンティーハンターができるまでの経緯は?

ヒカル : 実は佐世保に帰った時、気持ちが少し折れていて、このまま田舎にいようと思っていたんです。そしたらハイスタンダード(日本のパンクロックバンド)のナンちゃん(難波章浩。ボーカル、ベース)から連絡が来て、「俺らデビューすることになったからライナーを書いてよ」って。

守谷 : そうでしたね。ハイスタもヒカルさんのフックアップのイメージ。

ヒカル : それで実家でライナーを書いてる時、俺パンクが好きすぎて、世の中に埋もれているパンクの音とか服とかを広めることがやりたい!と思った。DJでも店でも、何かやろうと思って東京に戻ってきたの。でも事故が凄かったから、後遺症で人前に出られないこともあって。

守谷 : 一か月意識不明だったと伺っています。なので、分かります。

ヒカル : この先どうしようかなと思ってたら、今もパートナーのタカ(鈴木貴之)から「オモチャ屋さんをやりませんか?」と誘われて。じゃあ、やるよって始まったのがバウンティー。

守谷 : バウンティーハンターという名前はどこから?

ヒカル : 『スター・ウォーズ』が好きすぎて、ボバ・フェットが一番好きだからバウンティーハンター(賞金稼ぎ。ボバの役どころ)って。日本では俺達が商標登録してるから、ルーカスは日本でバウンティーハンターって使えないんですよ。俺のせい(笑)。

守谷 : 凄いですね。最初の買い付けからスター・ウォーズがメイン?

ヒカル : 俺がスター・ウォーズが好きで、相棒がスヌーピーとかが好きだったので両方を揃えてました。アメリカのオモチャショーに行って根こそぎ買って、どんどん売ってましたね。まだネットがない頃だから。

守谷 : オモチャとパンクはどういう風に繋がっていったんですか?

ヒカル : たまたま俺が両方好きだったからだけです。アメリカのオモチャ屋さんの中にはコミックTとパンクTを一緒に売っているような店もあったりしたし、ちょうど周りも、ジュンとかNIGO®とかも服をつくり始めていたから。じゃあ、やろうか、みたいな感じです。スタートは。

守谷 : 世界的に見てもそんなショップないから唯一無二ですよね。好きなものが凝縮されていったという。オリジナルでオモチャを作ったり、コラボでフィギュアを作る店も、当時まだなかったですよね。

ヒカル : それも結局は、自分でオモチャつくれたらいいなぁみたいな、初期衝動で動けた時代だったからじゃないかな。ガキだし。これ残ったらどうしようとか、製作費いくらかかるんだろうとか、そういう不安がないでしょ? これ、オモチャあったらいいよね。じゃあ、作ろうよって。

守谷 : オモチャとパンクが一緒って、90年代に全然なかったですものね。

ヒカル : でしょ?当時まだスゲェトンガってて、ある日スケシンちゃんから電話がかかってきて、「アメリカの映画監督がヒカル君に取材をしたいって言ってる」って。はぁ、誰ソレって聞いたら「タランティーノ」。

守谷 : その話、知ってます。

ヒカル : 彼は日本のカルチャーが好きだったから、パンクなのにオモチャ屋というのが不思議だったみたいで、取材したいって。

25周年で原点回帰!
90年代のミクスチャーが気分

守谷 : 当時の原宿の人たちが今でもファッションを動かしていますよね。

ヒカル : 俺的には、25周年で一周したじゃないけど、今までずーっとロゴTなんて着ていなかったけど、「あれ? : またいいかなって」。ちょうどそういう周期ですよね。

守谷 : 確かに。今みたいにモノが溢れている時代、バウンティーは今後どうしていこうと考えていますか?

ヒカル : バウンティーは全部、俺の匙加減でやらしてもらっています。ただお金の計算とかはパートナーがやってくれているから、見ないようにしていて。だって「値段が」とか言われると俺引いちゃうし、冷めちゃう。やる気をなくします(笑)。

守谷 : ヒカルさんは、いい意味でピュアさを保てていますよね。基本欲しいものを作るのが、ヒカルさん流。

ヒカル : 結局ないもの、ないものってずっとやってきたら、黒いTシャツもオモチャも色んなところでやりだした。そうすると自分は引いちゃうんですよ。それでしばらくオモチャは作ってなかったんだけど、最近、いい感じにスイッチが入ってきて。スカル君を再発したり、ロゴTをやったり。格好とかも90年代のミクスチャーの頃の感じがすごい良くて。だから、今本当にそこかも?

守谷 : 何か今戻りましたよね。ファッションシーン自体、ずっと90年代が続いているというのもあるけれど。

ヒカル : 90年代が続いてる?

守谷 : 続いてますね。バージル(アブロー)たちや、LAのマイク・アミリ(アミリのデザイナー)も原宿の研究ばかりしてましたからね。今彼らがやっているコラボとかも、裏原の延長に近い。だからあそこで培わた文化を彼らが継承した。そんな意味では、イマドキの日本人はほぼ継げなかった。

ヒカル : そうなんだ。俺は、自分が欲しくて世の中にないのを作れたら、それが一番いいと思っているだけ。でも、だからそんなにハネないんですよ。自分じゃなくて人のために作ってたら、周りみてぇに金持ちになったかもしんねぇけど(笑)。

守谷 : けど、今の時代そっちのほうが盛り上がりそうな気がしますけどね。

ヒカル : 究極を言っちゃうと、服はTシャツだけでいいの。他の服要らない。だって俺、着ないから(笑)。

守谷 : 今も黒が一番ですか?

ヒカル : 黒はずっと好きです。でも正月にディズニーランドに行ってミッキーのリンガーTを見たら急にリンガーTが熱くなって。それで白のリンガーTとか着るようなりました。リンガーTって今あんま人気ないでしょ?それでまた凄いスイッチが入って。そんなことばっかりです。

変わらない姿勢が若い世代をも惹きつける

周りに媚びることなく
自分のスタイルを貫く

守谷 : バウンティーでは、次世代とか育っているんですか?

ヒカル : いやぁ。次世代の子は、引き上げたら飛んでいっちゃうからなー。ヴェルディ(ガールズ・ドント・クライのデザイナー)とかも行っちゃったじゃないですか?俺たちの時代は修行で叩かれて、潰れない奴が次に行けるというステップがあったけど、今は個々でやれるから。

守谷 : 原宿を掘っている若い子も増えているし、ヴェルディ君の件もあって「バウンティーって何?」「バウンティー着たい」って声も周りから聞きますよ。若い人たちにはけっこうヒカルさんて、支持されていますよね。

ヒカル : ヴェルディも裏原を掘ってた一人らしいだけど、あの子は昔、パンクのバンドやってたから。それで俺が開いたのかもしれない。ゼーンブ、そこなんですよ。結局。

守谷 : 結局、全部バンド。パンク、ハードコア(笑)。聴いている音楽も変わらないですよね。

ヒカル : 好きなものは変わらないけど、昔ダメだった奴が聴けるようになったかも?新しいのがピンとこないから、リマスター盤を買ったり。音が確実に良くなっているよね。

守谷 : 新しいのがピンと来ないって分かります。なんかフローすぎて、強さを感じないっていうか。

ヒカル : ねぇ。それにほら、年取った分、気持ちがパンパンでなかなか入んない。昔は腹減ってるからなんでもおいしく感じるじゃないですか。

守谷 : 最近、他に気になる人とかバンドとかいますか?

ヒカル : キース・ヘリングがずっと気になっていたら、最近車のCMとかにもなってるでしょ?

守谷 : SUZUKIの新型ハスラーのCMですね。

ヒカル : 高校はデザイン科だったんだけど、当時、キース・ヘリングに物凄い衝撃を受けたの。タッチは違うけどロボットの絵をキースみたいな蛍光のポスカで塗って。その絵が県展で奨励賞とかもらったんだよね。キース・ヘリング、もう1回スゲェなと、ちょっと思ってたりするなぁ。

守谷 : 一周してメジャーのすごさが分かるようになるんですよね。

ヒカル : そう、そう!昔は知っててもなんかこうハスに構えたけど、逆に今は、キース・ヘリング入れたいなと。

守谷 : あんだけ愛されるの凄いよね!って、分かります。

ヒカル : そう。CMになっちゃうんだ!みたいな。でも、新しいことでは、 キター!みたいなのは何もないですね。今って、カッコいいことをやるって気概よりも、皆に好かれたモン勝ちだから、媚びてる人ばっかじゃないですか?服も音楽も媚びてる。「ありがとう」って言ってれば売れるんでしょ?(爆笑)

守谷 : そう考えると、ヒカルさんの服とか生き方とかまったく媚びはないですね。基本は優しいけど、唯我独尊じゃないですか?それがいいんですよね!

ヒカル : その辺はね(笑)、何が正解かとか分かんないし。若い頃、上の世代に「昔は」と言われたら「うっせなージジィ」とか思ったから、そう言われないようにとは思う。だから若い人に摺り寄せて、気に入られようとするなんてことは絶対に嫌だね。

守谷 : 分かります。

ヒカル : あと自分が好きだったブランドって、ずっと買い続けていてたりするじゃないですか?久しぶりに買おうと思った時、辞めていたり変わってたりしたらイヤでしょ?バンドとかもそうですけど。

守谷 : イヤですね。

ヒカル : だから俺も変わらずにやるのがいいんだと。

守谷 : 本当、昔からヒカルさん、全然変わってないです。お世辞とかなしに、本当にカッコいいです。今は洋服も皆、似ちゃってきていて。だから逆にそこにしかない強い個性のあるブランド、強い気がします。

ヒカル : その言葉を励みにしてもうちょっと頑張ろうかな。皆を驚
かせたいって気持ちはずっとあるからね。