滝沢伸介 | NEIGHBORHOODそれぞれの原宿物語 a long time ago in harajukuVol.3

photography by KAZUMI KURIGAMI
illustration by CHING NAKAMURA
text by HISAMI KOTAKEMORI

それぞれの世界有数のファッション都市、原宿にフォーカスする連載の第3回は、原宿を拠点にするネイバーフッドのデザイナー、滝沢伸介さん。裏原ブームを牽引し、2000年代から本格的に世界へ進出。男気溢れるブランドイメージとはまた違う、犬を愛する温厚な人柄にもファンが多い。80年代の原宿の様子やブランドの成り立ちはもちろん、裏原時代のエピソードから現在のシーンまで濃厚な対談に!

80年代の原宿には最先端のカルチャーがあった

行くだけで夢のような
場所だった80年代の原宿

滝沢 : どうしてまた、原宿を掘り下げようと思ったの?

守谷 : 何か残すべきものとしてですね。原宿は海外のデザイナーを含めて世界的に影響力が強いんで。70年代に原宿を作った先生方にも話を聞いてみたいと思ったし、うちも20周年なんで、何か残すものを作りたいと考えた時にやはり原宿かなと。

滝沢 : 一応、双方の歴史としても。

守谷 : そうです。だから将来的には一冊の本にしたいんです。数年はかかると思っていますが。

滝沢 : なるほど。

守谷 : 滝沢さんのネイバーフッドも今年で26年ですよね。(取材当時)

滝沢 : そうですね。94年からなんで。

守谷 : うちは20年ですけど、ほんと長いですね。

滝沢 : 長いですね。でもまあ、形は違えれども、先輩方もいるから。

守谷 : そもそも一番最初の原宿って、滝沢さんはいつだったんですか?

滝沢 : 一番最初に、自分で意識して原宿に来たのは高1ぐらいの時です。

守谷 : それはどんな感じで?

滝沢 : その頃は、パンクの洋服が買いたくて、原宿に出てきて。いろんなパンク屋を回っていました。

守谷 : それはヒロシさんと同じような店ですか?

滝沢 : かもしれませんが、僕の場合はTシャツとかリストバンドとかバッジ(笑)。そういうのを買いにラモスカ(パンクの缶バッジ屋)とかね。

守谷 : 長野からだと遠いですよね。

滝沢 : その頃、まだ新幹線もなかったから……。片道、3時間半とか。

守谷 : 往復7時間! : 周りにそういう人いました? : ファッション的な。

滝沢 : 周りにはほぼいなかったですね。僕はパンクのバンドをやっていたので、『DOLL』(80年創刊。パンクロックに強かった)とか音楽誌を見て、買いに行かなきゃって。

守谷 : そもそもそこに目覚めたきっかけって、何だったんですか?

滝沢 : 何の雑誌かは忘れましたが、ロンドンのストリートスナップみたいなものを見て、そういうものからファッションに。

守谷 : 中学生くらいの時?

滝沢 : そうですね。中2とか中3ぐらいでした。でも田舎にはそんなファッションの人もいないし、もちろんそんな服も売ってないし。

守谷 : 当時、そうですよね。今は考えられないけれど、格差ありましたもんね。情報格差が。

滝沢 : 好き、嫌いはちょっと置いておいて、原宿って当時いろんな要素があったから、とにかく行くだけで

夢のような場所だったんです。

守谷 : 当時、滝沢さんにとっての原宿ってどんな風に映っていたんですか? : 僕とも時代が違うんで。

滝沢 : やっぱり、ホコ天(歩行者天国)のイメージが強いですよね。別に僕、ホコ天に行ってたワケじゃないけれど(笑)。

守谷 : ですよね(笑)。

滝沢 : ホコ天で、例えば虚無僧というロックンローラーグループ(50’Sのファッションや音楽を愛する一派)が踊っていたんだけど、それが『刑事ヨロシク』(82年に放送されたビートたけし主演の刑事コメディ)というドラマに出るようになったり。

守谷 : そこ、ちょっと分からないですね(笑)。

滝沢 : もちろんタケノコ(竹の子族。派手な衣装でディスコダンスを踊るグループ)もいたり。東京のストリートカルチャーの走りというか、そういうものが全部あって。パンクスもいたし、ボロルック(穴あきやほつれなどのあるボロのように見えるファッション)とか、カラス族(黒づくめのファッション愛好者)とか、ギャルソンっぽい人もいたし。80 : 年代初頭の原宿はそういうものを全部見ることができた街でした。

守谷 : 滝沢さんの時代は原宿ですよね。僕が渋谷と原宿のボーダーだったんで……。けっこうな頻度で通っていたんですか?

滝沢 : いや、お金もそんなに持っていないから、年に2回。それぐらい来られればいいかなって。

守谷 : でも、今思い返してもそこが自分の原点だったな、みたいな感じってあるんですか?

滝沢 : いやもう完全に原宿が原点。新宿でも、六本木でもなければ(笑)。

守谷 : その頃は当然、自分がバイクに乗るとかファッションブランドをやるとは思ってなかったですよね。

滝沢 : 全然。

守谷 : ましてやレコード会社に勤めるなんて(笑)。

滝沢 : そうですね、全然(笑)。原宿に来られるだけで、本当に嬉しかったからね。

守谷 : 高校生から就職するくらいまで、原宿との接点はずっとあったんですか?

滝沢 : その後、東京というか、原宿に来たいがために専門学校に行き(笑)。

守谷 : それほど原宿が魅力的だったんですね。誰か原宿に、特別な人とかいなかったんですか? : カルチャー

全体だったんですか?

滝沢 : カルチャー全体を見るのが好きでしたね。

守谷 : じゃあ、今の日本が誇るファッション文化みたいなエリア、ある種見え方は違ってもファッションのエリアという感じではあったんですね。カルチャーも含めて。

滝沢 : そう。その当時、確固たる意識はなかったけれど、すごくク
リエイティブに近い人が見れるという意識がすごく強くて、芸能人とかアイドルがっていうわけじゃなく、クリエイターとかミュージシャン、アーティストに遭遇できたりとか。そういうことだけですごい刺激はありました。

守谷 : なるほど。一番通ったお店みたいなのは覚えていますか?

滝沢 : 一番通った店はやっぱりア : ストア : ロボット(原宿ディーゼルの裏手に82年にオープン)と……。

守谷 : そこら辺はヒロシさんと一緒ですね。

滝沢 : あとはゼクトアー(現在の表参道ヒルズの裏手にあったロンドンファッションの店)って店があって、そのお店はよく行ってました。

守谷 : へぇ。

滝沢 : 他にも細々とね。途中でなくなっちゃったけど、セントラルアパートの地下にあった原宿プラザにもパンクショップがありました。

守谷 : 滝沢さんとヒロシさんて、どれくらいの年齢差でしたっけ?

滝沢 : ヒロシ君は3歳上。

守谷 : じゃあ、めちゃくちゃ離れているわけじゃないんですね。僕は確か7、8歳違うんで、けっこう被ってないところが多かった。セントラルアパートとかほぼ通ってないし。

滝沢 : 通ってない? : マジで?(笑)

守谷 : はい(笑)。原宿プラザとか、あまり行ってないです。

滝沢 : でもそういう昔話でよく聞くのは、ラフォーレができる前にあった教会が有名だよね。

守谷 : はいはい。さすがに当時は見てないですよね?

滝沢 : さすがに見てないんだけど(笑)。渋谷とか原宿の昔の写真集が大好きでけっこう見るんだよね。当時の教会には行ってみたかったなあ。

守谷 : 渋谷区で出してる写真集とかにもけっこう衝撃な写真がありますからね。

滝沢 : そうそう。いろんな人の本にもその話が出てくるし。そこはちょっと体験したかった(笑)。

守谷 : (笑)。確かに。

新宿ツバキハウスでミルクの大川ひとみに出会う

グラフィックを武器に
マーチャンダイズに挑戦

滝沢 : 後は原宿というと、大川ひとみさんには大変お世話になりました。

守谷 : 滝沢さんもですか! : すべての原点は大川さん。ヒロシさんも当然そうですし。

滝沢 : 原宿と言えばひとみさん。

守谷 : それはどういうフックアップ?偶然ですか? : 遊びに行った時とか。

滝沢 : そうそうそう、偶然。ひとみさんは当時、いろんなところで、このコかわいいな、カッコいいなと思うと、男女構わずナンパするの。「遊ぼうよ!」って声をかける。

守谷 : 当時だとディスコとか?

滝沢 : 当時だとツバキハウス(新宿にあったディスコ)。

守谷 : おっ、ツバキハウスですか。ははは、行ってないですね。

滝沢 : ツバキハウスは、ほぼ毎日行ってましたね(笑)。

守谷 : さすがですね(笑)。

滝沢 : ロンドンナイト(大貫憲章氏によるDJイベント)とかがあって、その時に声をかけられて。

守谷 : きっかけはそこですか! : ジョニオさんも然り。

滝沢 : みんなそうです。

守谷 : 当時、滝沢さんが、一緒にたむろしてた人はいたんですか?

滝沢 : 当時は専門学校生で、4カ月しか行ってないけどバンタンで。

守谷 : 短っ!(笑)。

滝沢 : みんなお金がないから、当時ツバキハウスってディスコなんだけど、夕方行くとご飯が食べられたの。ビュッフェスタイルで。

守谷 : ああ。ディスコ、ご飯食べましたね(笑)。

滝沢 : だから当時の専門学校生は、お金ないからツバキハウスへ行って飯を食う。

守谷 : なるほど(笑)。

滝沢 : 行くの6時とかですよ(笑)。

守谷 : 早っ(笑)。誰と行ってましたか?

滝沢 : 当時は同級生。

守谷 : 今も残っている方だと?

滝沢 : ロンドナナイトではもちろん、ヒロシ君とか、カンちゃん(髙木完)とかもいたし、まあまあいろんな人がいました。

守谷 : 当時、滝沢さんは何歳?

滝沢 : 18歳。

守谷 : 業界の原点、なっがいから(笑)。すごいっすね。

滝沢 : そうなんですよ。

守谷 : その時に大川さんに、どういう風に声をかけられたか、覚えています?

滝沢 : ひとみさんは普通に「あんたカワイイわね! : 今度、お茶行こうよ!」って(笑)。

守谷 : へぇ。そっからどういう感じですか? : ヒロシさんは雑誌に出たりとかありましたが。

滝沢 : そこからは、僕みたいな人が多いと思うけど、ひとみさんにご飯やお茶をご馳走してもらったりしながら、仕事をちょっと手伝ったり。

守谷 : 何やられていたんですか?

滝沢 : ショーの時のフィッターを「ここやって!」とやらされたり。

守谷 : フィッター!? : ははーっ。

滝沢 : いろんな撮影に同行したり。

守谷 : アシスタントとして。

滝沢 : その当時、キョンキョン(小泉今日子)の写真集の撮影とかもあって。本当にありがたい話です。

守谷 : そっからどうやってつながっていくんですか?

滝沢 : 次はヒロシ君が声をかけてくれて、ご飯をご馳走してくれて(笑)。

守谷 : はははは(笑)。大川さんから今度は、ヒロシさんと遊ぶように?

滝沢 : そう。20歳か21歳の頃。

守谷 : 当時ヒロシさんが23、24歳だったらけっこう差がありますよね。

滝沢 : 僕は専門学校を首になって、ちょろちょろアルバイトしてる頃。かたやヒロシ君は既にDJとしても有名で、いろんなことをやっていたから。すごく大人っぽくはありました。

守谷 : 当時から多才だった。

滝沢 : そうですね。ひとみさんもヒロシ君も、遊びながらいろんな経験をさせてくれたから、そこは本当に

ありがたいと思っています。

守谷 : 僕もヒロシさんから偶然のフックアップされた派で。そこは近いです。

滝沢 : ヒロシ君は何回会っても「そういうつもりもなかったけど」と言うんだけど、本当にいいきっかけとか、いい体験をさせてくれたよね。

守谷 : そうなんですよね。そこから皆さん、自然と服の道を歩き始めて、みたいな?

滝沢 : 僕はまあ、ヒロシ君がレコード会社をやるというので、この話も何回もしているんだけど、そのレコード会社で働くことになり。それまではDJやスタイリストみたいなことをやっていたんだけど。まあ、何も分からず、メジャーフォース(88年にファイルレコード内に設立された)というレーベルに入り。

守谷 : 分からずに(笑)。

滝沢 : 入ってみたら中西俊夫さん(元プラスティックス)、屋敷豪太さん(元ミュートビート。ドラマー)など、有名なプロデューサーがいらっしゃって、それもすごいことでした。

守谷 : では最初は自分の意志ではなかった? どちらかというと。

そうそうたるブランドのロゴが並んだSENSEvol.5
ロゴを表紙にするという発想がド肝を抜いたSENSE第5号。今もファッションシーンに影響を与えているブランドたちが並ぶ。誌面には滝沢さんが当時の愛犬、グレートデンのシャドーと登場。滝沢さんのスタイルに、当時のストリートのミックス感が。またシャドーのリードやナイロン製の首輪もネイバーフッドからリリースされていた。(2000年SENSE5月号より転載)

1970年代後半、原宿交差点に面していた東京中央教会
原宿セントラルアパート側(右側の黒い建物)から撮影された70年代のSDA東京中央教会。白い建物がどこかエキゾチックで、ロマンチックなムードが漂う。1977年に老朽化のため建て替えられ、1978年、明治通り沿いにはラフォーレ原宿がオープンするが、教会は現在もラフォーレの裏手に存在する。(写真提供/SDA東京中央教会)

滝沢 : いや、自分の意志なんだけど、きっかけをもらった感じ。普通に就職ってしたことがなかったから、就職してみたかったんです(笑)。

守谷 : 就職をしてみたかった?(笑)

滝沢 : 月給もらえることに憧れて(笑)。

守谷 : でもレコード会社在職中に、服作りを始められるんですよね。

滝沢 : そうね。当時、アメリカでトミー・ボーイとかデフジャムなどのレコードレーベルがマーチャンダイズを始めて成功していたので、メジャーフォースのマーチャンダイズがあってもいいんじゃないかと思って、会社に企画書を出しました。予算が少なかったレコードの製作費に売り上げを回したいという発想でしたが、思いのほか売れました。

守谷 : ご自身でやったマーチャンダイズで、これが良かったなって覚えていますか?

滝沢 : 全部良かったですよ(笑)。

守谷 : 当時から! : さすがですね(笑)。それは誰かに教わったわけでもない?

滝沢 : 全然です。まだマックとかの存在を知らない時代で、当時はコピー機しかないから。コピー機に画像を入れてスイッチを押してちょっと曲げたりとか。それで出てくる画像が楽しいんだけど、それをグラフィックにしたりとか。

守谷 : なるほど。

滝沢 : その後、マッキントッシュっていうのがあると聞いて。また企画書を書いて、導入してもらって。それもただいじりながら覚えました。

守谷 : それも独学。マックをいじりたいがために(笑)。

滝沢 : マックがとても小さかった初期です。これ一台あればCDジャケットのデザインとかも全部できます、とプレゼンをして買ってもらったんですよね。

守谷 : ヘぇ。マーチャンダイズのために自分でグラフィックも始めて。

滝沢 : スケシン(スケートシング)なんかもそうですが、アパレルというよりもグラフィックデザインから入った人が、当時多かったです。

守谷 : 当時、ほんとそうですよね。

滝沢 : 広告とか何かのためのデザインをやっていたわけじゃなかったけど、当時はグラフィックで何かを表現したいなという人が多かった。

26歳、原宿ジャンクヤードで
ネイバーフッドをスタート

守谷 : そっから独立というか。

滝沢 : それが26歳の時。

守谷 : そこは自分と一緒ですね。

滝沢 : 26歳になったら一人でやろうと決めていたんで。

守谷 : この辺のところは全部、多分ウィキペディアに書かれています。ただ、まあ知らない人のために(笑)。

滝沢 : そうですね(笑)。何故原宿とつながっていくかというと、僕はお店を持ちたかったので、そうしたらもう原宿以外なかった。

守谷 : それは昔からの意味で。

滝沢 : 昔からの意味もあるし、思い起こせばNIGO®が1年先に、ノーウエアを始めていたり、ヒロシ君のオフィスが原宿にあったりというベースがあったからというのも、多分あったのかと思います。

守谷 : ベースがあったと言っても滝沢さん以外だと、同時期に始めた人は今考えると数は少ないですよね。

滝沢 : 今原宿に出店しようかと思うと、けっこう気合がいるじゃないですか。当時はまだ隙間があったので、少ない出費で実現できました。

守谷 : 家賃とか激安でした?

滝沢 : 18万でした。

守谷 : おー、そうですか。滝沢さん、お一人でしたか?

滝沢 : 当時、西山徹と僕と、藤本っていう友人と3人で始めて。原宿遊歩道のジャンクヤードという長屋の中でスタートしたので、そこまでヘビーな資金もいらなかったんです。

守谷 : なるほど。

滝沢 : 内装費は100万かかりましたが(笑)。DIY風でしたが、ちゃんと工務店にお願いしたので。でもね、細かく覚えてないけれど、そのくらいはかかっちゃうんですよね。レジ買ったりとか、ショッパーも作ったり。厳密にいうと、もっとかかっていたと思う。

守谷 : そう考えると、安いのかもですね。

滝沢 : そうなんですよ。

守谷 : 一番最初のアイテムとか覚えてますか?

滝沢 : 一番最初はアメリカのバイク雑誌とか好きだったから、そういうのをスキャンして、グラフィックをシュッと付けたりしたTシャツ。

守谷 : けっこう当時、みんながやってた手法ですね。

滝沢 : 最初は、純粋にオリジナルブランドだけじゃなかったので、西山徹と僕でアメリカに買い付けに行って。色んなアウトレットとかアウトドア屋とか回って「これいいんじゃない!」ってバンバン直買い。それもめちゃめちゃ楽しかった。

守谷 : 当時、携帯もないのにすごい。

滝沢 : アメリカの地図見て「どこ行く?」「ここ、バッファローって地名、なんかカッコ良くない?」「じゃあ、ここから行こう」って、そこからレンタカーを借りてマンハッタンまで行って、途中途中にある店で買って。僕も西山も当時はバイクに乗っていたんで、バイクに乗る時に使えそうなアウトドア用品や、アウトレットではRRLで無地のシャブレーシャツとかを買って。後からオリジナルプリントを入れて売ったりしていました。

守谷 : 今もどっかのブランドがやっている手法を、既に当時やっていた。

滝沢 : でも、まあ、そうするしかなかったというか。今はできないけどね。そんなスタートを原宿でしつつ。

守谷 : じゃあ、最初から、今のネイバーフッドのカルチャーはできあがっていたんですね。バイクも含めて。

滝沢 : そこはできてましたね。でも当時は、日本に住んでる若者として、一つのことだけでなく、色んなものを吸収して育ってきたので、色んなチャンネルを持っていたというのが、ちょっと面白いところかもしれないですね。

守谷 : 当時、似たブランドもないし。今もほとんどないですしね。

滝沢 : 裏原の時代、大きいブランドも、小さいブランドも、ものすごい乱立した時があって、見ていて面白かったですけどね。みんな気軽にブランドを始めていて。

守谷 : 正直始めた時、不安はなかったですか? : 僕なんて1号、2号ですぐ廃刊になりそうだったので(笑)。当時26じゃないですか? : お金も潤沢にあるわけじゃないし。

滝沢 : 僕の場合は、いわばドロップアウトしたみたいな人生だったから。大学も行ってないし、専門学校すら途中で終わっている。そんな僕が上手くいくわけないじゃない? : だから4、5年、楽しくできればいいな、ぐらいの感じでした。

守谷 : なるほど。

滝沢 : でも頭の中では失敗したら後はないと思っていました。

守谷 : 若い世代から、どうやったらできるんですかとか、滝沢さんも色々聞かれていると思いますが、今振り返るとどうですか? : 偶然ですか? : ここまで来たのは。

滝沢 : 両方だと思うんですよ。もちろん、すごくいい先輩や仲間に恵まれたというのはありますし。

守谷 : 立ち上げ当初には、倒産危機とかも、当然ありましたよね?

滝沢 : ありましたよ。細々としたことは。誤発注しちゃったとか。

守谷 : 50が500? 5000?

滝沢 : Tシャツ一つ作ってこれぐらいの数、売れるだろうと今なら打ち出すことができるけれど、最初はビジネスキャリアもないから、だいたいの数で見切り発車で作ったのがめちゃめちゃ多くて。何この枚数?

守谷 : ははははは(笑)。

滝沢 : まあ、Tシャツ一型の誤発注で会社が傾くというくらい小さな会社だったわけです(笑)。

守谷 : まあ分かります。

滝沢 : とはいえ、せいぜい4、5年かなと思っていたのに、途中からスイッチが入ったんですよね。これはぽしゃるわけにいかないなと。失敗したら絶対田舎に帰んなきゃいけないし、何となく責任というものも感じ始めていたから。そういうところではいろいろ考えながら、ふんばった時期もありました。

守谷 : 何かきっかけになったことはありますか? : ヒロシさんなら宝島の連載『ラストオージー』などがありましたが、滝沢さんも何か狙ったことがあった?

滝沢 : ありがたいことに、最初はこれぐらい(ジェスチャーで低い横這い)なんですが、ずっとこう(右肩上がり)来ているんで。

守谷 : ほんとそれ奇跡ですよ。

滝沢 : それが徐々に、自信と責任感につながってきたというのはすごくありますね。ジャンクヤードに1年いて、その後、遊歩道沿いにもう1年ぐらいいたんですが、その次が今の店舗なんです。移ったとき、家賃がべらぼうに高かったんですよ。急にね。

守谷 : そうでしょうね。

滝沢 : よく入ったなと思うけど。

守谷 : それは勝負をかけたんですね。

滝沢 : そんなことがきっかけになって、責任感も出てきました。

気軽にブランドを始められた90 : 年代原宿の空気感

ネイバーフッドは自分の
原点、原宿を意味する言葉

守谷 : そもそもネイバーフッドって名前にしたのはどうしてですか?

滝沢 : 響きが好きなのと、ネイバーフッドって近所とかそういう意味なんだけど、それは原宿を差してる。

守谷 : それは自分にとっての。昔からやるなら、と決めてました?

滝沢 : 昔からは決めてはいなかった。

守谷 : よく商標取れましたね。

滝沢 : そう、普通の名前なんだけど。それも時代だと思うんですよ。

守谷 : じゃあ、自分で商標取ったり。

滝沢 : 途中までは商標ってことすら知らないから。商標って何みたいな(笑)。

守谷 : 一緒だ(笑)。

滝沢 : 全てそうでしょう?

守谷 : そうですね。SENSEだとその言葉自体、取れないんですよ。

滝沢 : いやあ、難しいでしょうね。造語じゃないと今、たぶん無理じゃないかな。ちょっとスペルを変えたり。

守谷 : 自分の場合、会社が危ない時、運良く売れたとかあったけど、滝沢さんはずっとこう(右肩上がり)なんですよね。

滝沢 : 爆発的に売ってやろうとかはないのでね。

守谷 : 堅実ですよね。

滝沢 : でも新店舗になってから、売り上げとか色んなスケールが変わったので、そこは大きいかもしれない。

守谷 : 神南にもお店はありますが、原宿を出ようと考えたことは?

滝沢 : 一瞬考えたことはありました。裏原ブームと騒がれた時。

守谷 : 一括りにされたり。

滝沢 : そうそう。ピーク終わったねって言われたり。僕らは売り上げ変わってないし、終わった感はなかったんだけど。当時、みんな青山に移ったりとか、変化の時期でもあったから。現にうちも青山にブラックフラッグ(05年オープン、11年閉店)というお店を出したんですが、やっぱり原宿なんですよね。

守谷 : それは原宿に滝沢さんの原点があるからですか?

滝沢 : もちろん原宿の空気感が今でもすごく好きというのはあります。ビジネス的な側面からも、やっぱり新しいものとか購買意欲をそそるもの、ファッションの買い物は原宿がいいなと。自分分析ですが。

守谷 : 滝沢さんにとっての原宿ってどの辺まで指されていますか?

滝沢 : どこだろうね。まあでもラフォーレ交差点周辺。もちろん新宿にも伊勢丹とか、銀座にドーバーとか、色々あるんだけど。原宿ほど面白い街は今もないんじゃないかなと。

ソサイエティの中から新しい
ことが生まれた裏原宿時代

守谷 : 今、海外のデザイナーにもかなり影響を与えてると思いますけど、親交が深いデザイナーはいますか?

滝沢 : フューチュラとかカウズとか、アーティストの友だちのほうが多い。

守谷 : カウズは、早かったですよね。あれはどういうきっかけで?

滝沢 : よく覚えていないけど、NYと原宿で急にコネクションができて。いや、でもそれは当時のその流れを知ってる人に聞いたほうがいいかも。スケシンはフューチュラをすごいリスペクトしていたので、エイプを通して、その辺からつながったんじゃないかな。

守谷 : そうかもですね。

滝沢 : それ以外でもヨッピー(江川芳文)とか、スケーターカルチャーでシュプリーム周りのクルーともつながって。当時のつながりが今でも続いている。印象的な時代でしたね。

守谷 : ですよね。彼らはみんな、今や世界的になっていますよね。

滝沢 : カウズなんかその筆頭で。フューチュラは当時から有名だったし。

守谷 : 当時、横のつながりというかお互いの特集にモデルとして登場したり、裏原の人たちは羨ましいくらい仲が良かったですよね?

滝沢 : ソサイエティのようなものができていて、その中で「今度なんかやろうよ」って話が成立していました。他のブランドと仲が良かったり助け合ったりしているのをNYから来たフューチュラとかが見ると「ありえない! : それなんだ?」って(笑)。欧米ではみんな競争心がすごいから、蹴落としあいになるのが普通だって。

守谷 : だから今、ヴァージルがやっていることが、自分たちに似てるって滝沢さんも思わないですか?

滝沢 : 思いますよ。加えて最近、20代のコたちが昔の裏原の古着を集めていたり、なんかすごく複雑な気がします。確かに今、自分たちが見ても面白いグラフィックなんですが……。

守谷 : 昔のは拙い中にも勢いがある。

滝沢 : マックを使いこなせていないところがかえって味のあるグラフィックにね。

守谷 : そうなんですよね。今、写真でいえば、何でもレタッチできちゃって、だから逆に味気がない。

滝沢 : ニューヴィンテージ? : 当時でしか作れなかったものが、再評価されているのは面白いなと。しかもグラフィックを誰がやっていたとかちゃんと掘っている。この間のグッドイナフのEND : RACISM : のTシャツの復刻も、日本だけじゃなくてグローバルで評価されているのも新しい感じがしますよね。昔のものからのフィードバックで、何か新しいものが生まれるのかなと、期待感もある。

守谷 : 最近はコラボの依頼とかもめちゃくちゃ多いんじゃないですか?海外も調子良さそうですよね。

滝沢 : ですね。お話は色々いただきますね。昔は考えられなかったけど海外からもオファーがあったり……。海外ではユニオンが一番最初に自分たちのものを置きたいって言ってくれて。

守谷 : 僕らが若い時のユニオンっていったらLAの最先端じゃないですか? : でも数年前に覗いて見たら、ネイバーさんがメインブランドみたいな感じで。

滝沢 : 海外で評価されるってことは、純粋にすごく嬉しいことだよね。

裏原宿が次世代や世界で評価されて次につながる

楽しいと思うことを追求する
探求心は今も昔も変わらない

守谷 : 今の時代感だと、話せる範囲でいいんですが、戦略変えてます?

滝沢 : 戦略は常に変えています。実店舗はお金もかけて大事にしているんだけど、何年か前からSNSとEコマースというものが重要になってきました。それが今回のコロナで加速したなと体感はしていて。

守谷 : モノの作り方も変わりますか?

滝沢 : その時々の気分もあるけれど、状況に合わせて多少は変えたりしています。お客さんのニーズも意識して、細かく対応できるようにね。

守谷 : 今は一億総メディア化で誰もが発信できるメディアを持つようになったんで、僕はかえって捨てられない雑誌を作ろうと思うようになりました。

滝沢 : 最初の頃のSENSE、個人的に大事に保管してるよ。

守谷 : ロゴが並んでいる号ですか? : 実はその号で廃刊しようと思っていたんです。最後だから好きなブランドのロゴを並べて、「特集してこれで終わり」とやってみたら、それが完売するという。

滝沢 : なるほどね。

守谷 : えー! : みたいな。その号では滝沢さんとムラ君(M&M代表)に愛犬と一緒に登場していただいて。

滝沢さん、犬も縁深いですよね?

滝沢 : 犬も縁深いよね。昔から犬もオモチャも自分のライスフタイルで、ブランドに反映させてきたから、そこを楽しんでくれた人もいるし。

守谷 : もう一回ネイバー、犬を反映してもらってもいいですか?(笑)

滝沢 : 全然いいよ(笑)。

守谷 : 最近は多肉植物もですよね。

滝沢 : 植物も癒されるんだよね(笑)。

守谷 : 分かります(笑)。緑、絶対大事。でも僕、多肉にだけは行かないようにしてます(笑)。ハマるのが分かってるから。

滝沢 : 見ているだけでも癒されるけど、手入れとかするとさらに癒されるんだよね(笑)。試しに1個買ってみればいい。

守谷 : 集めちゃうからなぁ。アートとかは、今は気分じゃない?

滝沢 : 気分的にはね。でもチャンネルはどんどん増えていく感じです。植物だったりバイクや車だったり。

守谷 : 今後のネイバーとしては、10年後まで見えてますか?

滝沢 : なんとなくね。ぼんやり。

守谷 : イヤ、すごい!

滝沢 : でもさ別にさ、(設立)20年でも30年でも関係なくない?(笑)

守谷 : ははは(笑)。まあそうっすね。振り返ったらあっという間ですし。

滝沢 : 会社がみんなでがんばったね、という労いはいいけど、お客さんに10周年記念ものですっていうのは、正直どうかなと。僕の中では何年やろうが、あんまり変わらないかな。

守谷 : ネイバーとしての完成形とか、自分の理想形には近づいている?

滝沢 : 完成形っていうのは永遠にないですよね。

守谷 : まだやりたくてやれてないこととかありますか?

滝沢 : グローバルなチャネルのPRを含め商品供給とかはまだ思うようにはできていないので、そこは常にアップデートしたいと思っています。

守谷 : 今後、言える範囲で新しいことやるんだって、ありますか?

滝沢 : えーと、何だろ。とはいえね、ビジネスを一番には考えているんだけど、楽しいこと?植物もそうだし、犬もそうなんだけど、楽しいことを仕事につなげたいという思いはすごくあるから、年を重ねても何か面白いものを探していくスタンスは変えないほうがいいかなって。

守谷 : 昔から変わらないですね。

滝沢 : 何年後にどうするとか、この年で考え出すと先見えちゃうじゃん。

守谷 : そうですね(笑)。

滝沢 : そうなると、探求心とかなくなっちゃうよね。60歳で引退してどっかに別荘でも買うか、のんびり暮らすか、みたいになっちゃったらクリエイティブな探求心ないじゃん。

守谷 : そこはそういうつもりはないんですね。

滝沢 : 全然ないです。まあ諸事情で仕方なくそうなるかもしれないけど(笑)、そこは自分でリミッターをかけたくないなと思います。